「真珠湾攻撃」
一般的に、太平洋戦争の始まりと言われる日本が仕掛けた「真珠湾攻撃」。
実は、この真珠湾攻撃から始まる一連の大戦(ミッドウェー海戦、ガダルカナル島の戦いなど)は、1907年にはアメリカが構想していたものでした。
実際に、セオドア・ルーズベルト大統領は当時、米軍の艦隊に世界1周航海という名の予定戦場調査を指示。
その行く先々や海路が実際の戦場と一致していたのです。つまり、30年以上も前に、ルーズベルト大統領によって、密かに対日戦争の戦場は決められていたのでした。
「東京大空襲」
1942年、東京の都市部を狙ったアメリカによる無差別爆撃…
この大空襲では、約8万人以上の国民が犠牲になったと言われています…
もちろんこの大空襲も、アメリカがいきなり計画したものではありません。
これは、空襲を計画したウィリアム・ミッチェル准将が、1923年の段階で構想に織り交ぜていました。
その証拠に、同年、日本で起きた関東大震災の際、アメリカは救助隊という名目で調査団を派遣し、彼らが調査した被害レポートから東京大空襲が提案されたという記録が残っているのです…
つまり、アメリカは、あろうことか震災から着想を得た作戦も計画していたのでした…
「原爆」
1945年8月6日と8月9日、日本に起きた最大の悲劇。
これは、「日本に徹底的なダメージを与えて屈服させる」というオレンジ計画の大方針に則り、戦争の勝敗に影響がないのにも拘らず実行されました。
実際に、ハリー・トルーマン大統領の大統領記録には、「原爆が使用されていなかったとしても、8月に終戦予定だった」と記されています…
オレンジ計画研究家の鈴木荘一氏は、「原爆は1906年版オレンジ計画を実行に移したものである」とオレンジ計画の記録からその犯行を読み解いています…
今回あなたにお伝えしたことは、「オレンジ計画」のほんの一部に過ぎません。
他にも、日本を苦しめた経済制裁である「ABCD包囲網」や、日本とイギリスを分断することになってしまった「日英同盟破棄」なども、オレンジ計画の一部だったのです…!
そして軍事関係者の間では、
「オレンジ計画は、あらゆる軍事計画の中で最も秀抜である」と高く評価されています。
40年以上、アメリカの大統領から大統領へ受け継がれてきたこの計画は、その間に研究を重ね、何度か改訂も挟んでいます。
つまり、あの大国アメリカが何十年も研究を重ね、試行錯誤を続けた「オレンジ計画」は、まさに完璧といえる戦争計画書だったのです…